JADE & JADEITE
◆幾度か香港や中国に通い、いくらか玉(ぎょく)市場や骨董店になれると、中華文化圏の人たちの玉への熱愛ぶりと玉文化の奥深さに驚きが増していくばかりとなります。玉 (ぎょく)は宝石いっぱんをさす言葉ですが、最上位の玉としてネフライト(透閃石・軟玉翡翠)が珍重され、近代になってジェダイト(硬玉翡翠)が加わりました。軟玉と硬玉の翡翠がどう異なるかは、ひととおりの知識を得たあと、なるべくたくさんを見て、経験を深めていくのがまっとうな理解の仕方です。
◆『日本ヒスイの本・最高のパワーストーン』(北出幸男、青弓社、2016)で紹介したように、ミャンマー産の翡翠が中国で玉(ぎょく)の仲間入りをしたのは18世紀、おもには乾隆帝以降のことで、軟玉翡翠(ネフライト)と硬玉翡翠(ジェダイト)が異なる鉱物であるこちが明らかにされたのは1868年でした。それまで中国では最高の玉はネフライトに限られてきました。
◆ネフライトは角閃石の仲間で、トレモライト(透閃石)やアクチノライト(緑閃石)の結晶が極微で密に集合したものをいいます。二酸化ケイ素の結晶が発達したものが水晶で、結晶が電子顕微鏡でないと識別できないほど極微で、多数が凝集したものがメノウというのと似ています。日本翡翠の原産地、新潟県糸魚川地方ではネフライトも採集できるのですが、文化の違いでネフライトを重宝する日本人ヒスイ・ハンターはいないようです。
◆おもに黄河流域を中心にさかえた殷・周・漢の時代には、玉器は朝廷の独占物で、皇帝のまつりごとに使用される「祭祀器」や、王侯貴族の身分を玉器で印す「礼器」が作られました。戦国時代(紀元前404-201)後期に現在の新疆ウイグル自治区のホータンでネフライト鉱山が開発され、漢の時代には玉門関を経て大量の玉が都に供給されるようになりました。宋の時代になって権力者や知識人の間に玉器を愛好する習慣が盛んになり、明・清の時代に玉文化は最盛期を迎えます。こうした玉文化の伝統があって、ミャンマー産翡翠も新しい玉として受け入れられ、人気をはくし、ついには熱狂的勢いで流行することになりました。
◆香港、シンガポール、中国などの中華文化圏へ旅行する機会があったら、骨董店を見物するようお勧めします。年代ものと称する白玉(はくぎょく)製品に驚くほどに高額の値札が付けられています。知ったかぶりしたい人たちはなんでも偽物と放言しがちですが、白玉は見た目同じ製品でも、1万円と50万円ほどに質によって違いがある製品。眼を養うことが大事で学びがいがあります。