INTRODUCTION
「日本産翡翠のことなら何でもわかる!」という情報ページを目指しています。
翡翠は半透明濃緑色の宝石というのは誰もが知っているのに、中華4千年の歴史を彩ってきた「玉(ぎょく)」と翡翠はどう違うのかとか、日本列島の縄文・弥生時代、私たちの遠いご先祖の心根を養ってきたのは国産の翡翠だった、ということは案外知られていません。このホームページでは翡翠と玉(ぎょく)との他人行儀な関係とか、誰もが採集できる日本産翡翠のホットな状況、かつてこのクニに栄えた翡翠文明の隆盛と消滅の謎、翡翠の鉱物学などなどについて、順次特集していきます。
まずはイントロダクション。ここでは、[1]日本翡翠情報センターの概略について、[2]翡翠は緑という常識を捨てる、[3]日本翡翠は天然記念物だから販売禁止は真っ赤な大嘘![4]日本翡翠情報センター運営者の自己紹介、などについて触れます。
日本翡翠情報センターの概略
「日本翡翠情報センター」は日本産翡翠の魅力を地球科学・鉱物学・考古学・文化人類学・精神世界など多方面から包括する情報センターとして設立されました。ベテランのヒスイ・ハンターや加工業者、内外の翡翠研究者のご賛同・参加・助力を得て運営していますが、あらゆる官庁、団体から一切の資金援助を受けていない、つまりは浮き世のしがらみのない、勝手気ままな研究機関であることに大きな特徴があります。
日本翡翠は新潟県糸魚川市から富山県下新川郡朝日町にかけて産出する国産の翡翠。ブランド名で「糸魚川翡翠」とよばれたりもしますが、ヒスイ・ハンターにとってもっとも馴染み深い場所が、富山県朝日町のヒスイ海岸であるし、縄文時代の翡翠工房遺跡も両地方にまたがっているので、ここでは公平を期して日本翡翠を通り名としました。
天然石ファンの間では、「石に呼ばれる、石に招かれる」という表現がしばしば用いられます。日本というクニや日本人の精神性について人々の興味がたかまっている現代では、日本翡翠に呼ばれたり、日本翡翠に招かれる人たちが急増しています。こうした現象は 「心の内なる古代がよみがえる」と言い換えても同じことですが、日本翡翠に目覚めた人たちが、日本翡翠をさらに楽しむための情報を「日本翡翠情報センター」は提供していきます。
本当に凄い! 翡翠には百万色の色合いがある
翡翠といえばリングやペンダントに使用されているトロリとした濃緑色の宝石を連想しがちですが、日本翡翠はヒスイは緑色という常識を離れるところから出発します。
翡翠は緑という固定概念は、ルビー・サファイア・ダイアモンドなどの宝石がわが国で始めて流行するようになった大正ロマンの時代に形成されました。緑色半透明の宝石であれば、インドヒスイ、オーストラリアヒスイと、なんでもかんでもヒスイと名付ける傾向もこの時代に始まりました。
鉱物学的には翡翠原石は、ヒスイ輝石という顕微鏡サイズの微結晶鉱物が凝集した岩石。ヒスイ輝石の基本色は白で、ここに異種鉱物が混入することで、翡翠原石は緑や青、黒、灰緑色、まれには赤やオレンジなど多色に発色します。ビルマ翡翠に驚くほどに多種多様の翡翠原石があるのと同様に、日本翡翠も原石ひとつづつで色が異なるといえるほどのにぎわい。あれも翡翠、これも翡翠と眺めているうちに翡翠の豊饒さが精神宇宙の豊かさにつながっていることがわかってきます。
翡翠には拾っていい翡翠と採集ご法度の翡翠とがある
インターネットのあちこちには日本翡翠(糸魚川翡翠)を扱うホームページがあって、そこには「日本翡翠(糸魚川翡翠)は天然記念物だから、現在は採集禁止、販売も禁止されている」とか、「日本翡翠(糸魚川翡翠)は原石が枯渇してもう採集されていない」などと書かれていたりします。宝石関係の展示会では、まるで絶滅危惧種の動物を闇で売るペット屋の店員のように、声を潜めて「日本翡翠は天然記念物だから、今回だけ特別に販売している」などと勧められ、あまりの非常識におののいたことがあります。
こういうのはまったくの間違いであり、でたらめな情報。糸魚川市内を流れる姫川へ行くなら、いまもヒスイハンターをみかけることができます。ヒスイ海岸で翡翠探しをしてもいっさいお咎めはありません。
糸魚川市には「小滝川ヒスイ峡」「青海川ヒスイ峡」とふたつの日本翡翠の天然記念物指定区域があります。ここからは一切の岩石類の持ち出しは厳禁されていますが、指定区域外の河川での採集は大目に見られています。姫川に限らず、日本中の一級河川はクニの管理下にあり、そこから石やら植物を持ち出すのは原則禁じられていますが、手で運べる程度の石であれば大目に見るということのようです。もっとも最近では、河川を荒らされないようパトロールカーが姫川沿線を1日、1-2往復しているとかで、監視員に見つかれば、たとえこぶし大の原石の採集でもトラブルになるかもしれません。
日本翡翠がなくなってしまうというのも、根拠のない誤情報で、糸魚川市近辺の翡翠業者の倉庫には相当量のストックがあり、現在のような流通量であれば当面枯渇の心配はないように見えます。世代交代にともなって、あちこちの家庭に眠っていた翡翠原石が再発掘されていくことにもなるようです。
翠4(みどり)が好きな日本翡翠情報センター管理人の自己紹介
うちの店のお客さんやぼくの本の読者以外の方で、はじめてこのホームページに触れられた方は、いったいどういう人間がこのページを作っているのか疑問に思われることと思います。
このサイトは日本翡翠・水晶・天然石の専門店《ザ・ストーンズバザール》によって運営されています。前進は(有)ザ・ストーンズ。1987年(昭和62)に創業しました。オーナーは北出幸男。『宮沢賢治と天然石』『癒しの宝石たち・パワー効果と活用法の事典」(ともに青弓社刊)など十数冊の著書があります。東洋思想や古代思想の分野を得意とするジャーナリストであり、日本翡翠に関心を抱いて二十数年経過しています。
『宝石伝説』(北出幸男、青弓社、1989年、絶版)では、一般書籍としてはおそらく始めて、縄文時代から弥生・古墳時代にかけての日本列島には、翡翠文明と呼ぶべき国産翡翠を愛玩する文化が栄えていたことを話題にしました。
『宝石の力・幸運は形に宿る』(北出幸男、青弓社、2003年、\1,680)では、①翡翠と古代中国の玉文化との相違点を明確にし、②古代日本の翡翠文明と呪術の関連について特集ページを設けました。この本によって、翡翠大珠に始めて触れた方もいらっしゃるかと思います。
こうして振りかえると日本翡翠とぼくとの関係は相当に古いので、今回の「日本翡翠情報センター」の設立は、この方向に沿ってレールが敷かれていたのだと思えなくもありません。
日本翡翠を、日本人である私たちの心の故郷としてのヒスイへと発展させていけるよう「日本翡翠情報センター」は願っています。古墳時代以降およそ1千5百年の時を経て現代によみがえった日本翡翠は私たち列島の民を癒す宝石であり、心の元気よさを回復する最高のお守りになります。日本翡翠を日本を代表するヒーリングストーンへと育てていくために、翡翠関係者のみなさんのご助力をたまわりますようお願いします。