日本翡翠情報センター(糸魚川翡翠・ヒスイ海岸・翡翠勾玉・翡翠大珠・ひすい)

日本翡翠と勾玉、天然石の専門店《ザ・ストーンズ・バザール》が運営する日本翡翠専門のホームページです。『宮沢賢治と天然石』『癒しの宝石たち』『宝石の力』(ともに青弓社刊)の著者・北出幸男が編集・制作しています。(糸魚川翡翠・ヒスイ海岸・ヒスイ採集・翡翠勾玉)。

別冊付録

日本翡翠情報センターHPの別冊付録として「日本ヒスイ早わかり」をお届けします。新潟・富山の県境、糸魚川地方で産出する国産翡翠が国中の天然石ファンから注目されています。ついには日本を代表する「国の石」になりました。けれど性質や歴史について断片的な情報しか流布しておらず、日本翡翠の全体像はつかみにくいままです。翡翠の基礎知識を短時間でマスターできるよう制作したのが「日本ヒスイ早わかり」です。翡翠原石のコレクション、翡翠製品の選択、ヒスイ海岸でのヒスイ採集に役立ちます。

1日本翡翠は国の石

当社の日本翡翠製品は糸魚川翡翠と同じか、と質問してくる人が多い。結論をいえば両者はまったく同じ石。日本は世界でも数少ない翡翠原石の産地であり、ミャンマー産やロシア産と区分けする意味もかねて、当社では糸魚川地方産の翡翠を日本翡翠(ジャパンジェード)とよんできた。翡翠が「国の石」に選定されたいまは、やっぱり国産翡翠は日本翡翠の愛称が似つかわしいと思っている。

2翡翠の色合い

翡翠は緑の宝石と思っている人が多い。けれど翡翠の緑色はむしろ例外。しかも翡翠は鉱物ではなく岩石の部類に属する。ヒスイ輝石という輝石類の白色の鉱物を中心にいろいろな異種鉱物が集って翡翠という岩石が誕生する。だから翡翠は白色が基本色ということになる。緑色はオンファサイト(オンファンス輝石)という異種鉱物によるもので、ヒスイ本来の色ではない。日本産翡翠では明るい灰色をベースに緑や青味を帯びたものの産出が一番多い。たくさんの日本翡翠と親しむと、ごくわずかの色や質感の違いが大きな違いに感じられて、翡翠の色合いの無限のひろがりに驚嘆できるようになる。

3続・翡翠の色合い

日本翡翠の原産地・糸魚川地方ではおもには色合いで翡翠原石を区分けしている。純白に近いものは白翡翠で気高い色合いがまばゆい。原石の青味が強いものは青色翡翠。全体に青味があるものと脈状に濃紺色がはいったものとがある。後者のものを産地ではコバルトヒスイとよんできたが、コバルト元素が含まれているわけではない。藤色がかっっているのがラベンダーヒスイで、日本産ではミャンマー産ラベンダージェードのように藤色があでやかなものはみかけない。全体が緑色でとろ味のあるロウカン質の原石もきわめて少ない。ちかごろでは黒色系のものが人気が高い。これには全体が真っ黒なもの、ねずみ色と黒色がまだら状になったものなどいろいろな状態のものがある。

4翡翠の透明度

翡翠には透明度の高いものとあまり光を通さないものとがある。原石を構成する鉱物粒子の大きさの違いで、粒子が粗いと石の中へ入ってくる光線が拡散されてしまい、透過性が低くなる。粒子が小さければ光線はより内部へと入っていきやすく透明度がたかくなる。翡翠の場合はひとつの原石でも場所によって透明度が異なる。国産ではミャンマー産アイスジェードのような透明度が高くスリガラスのような感触のものはみかけたことがない。翡翠にはたくさんの色合い、質感の異なるさまざまな状態のものがある。濃緑色や黒色が入り乱れたものは透明度がなくても貴重だ。

5翡翠原石の成分

翡翠は極微の鉱物結晶が凝縮してできた岩石なので、1個の原石でも場所によって成分が異なる。ヒスイ輝石が濃密な場所もあれば、オンファサイトなどが量的に多い部分もある。糸魚川産のアルビタイトに分類される原石にはヒスイ輝石の目視できるほど大粒の結晶がまじっているものがある。周囲に大量の蛇紋岩があり、アルビタイト(曹長石)からジェダイト(ヒスイ輝石)が変成される環境(成分・温度・圧力、など)では、アクチノライト(緑閃石・ネフライト)などの角閃石類も生成されやすく、翡翠原石の外皮の部分に角閃石が付属しているものをしばしば見かける。

6硬玉翡翠と軟玉翡翠

翡翠原石の産地、糸魚川地方のヒスイ海岸では、ネフライトも採集できる。ネフライトは角閃石類に属する鉱物で、輝石類に属するヒスイ輝石とは性質が異なる。見た目に似ているものがあることから以前はヒスイ輝石を硬玉翡翠、ネフライトを軟玉翡翠とよんでいたが、最近はそういう呼びかたをしない。古代中国で至高の宝石とされてきた白玉(はくぎょく)はネフライトに属している。ネフライトと成分は同じでも結晶が粗粒だったり柱状のものをアクチノライト(緑閃石、緑色透閃石)という。アクチノライトは漢方では秘薬扱いされて陽起石とよばれてきた。

7ミャンマー翡翠と日本翡翠

一般的に翡翠はミャンマー産でリングやネックレスなどに加工された濃緑色でとろ味がある高価な宝石をいう。中国の翡翠市場では緑・黄・白などさまざまな色彩をした大量の翡翠製品が流通していて驚嘆する。翡翠原石全体からみるなら、濃緑色宝石質の翡翠はごく一部、たとえば炊飯器一杯のご飯に小豆一粒を混ぜた量ほどでしかない。ミャンマー翡翠と国産翡翠は成分は同じだが、相対的にみればミャンマー産に優美なものが多い。しかし希少価値からみるなら、国産品は産出量が激減していることもあって貴重になっていくいっぽうだ。ロシアや中南米のグアテマラでも翡翠は産出するが日本にはあまり入ってこない。グアテマラ産のものは古代マヤやアステカ文明で神の宝石ととうとばれた。

8翡翠の誕生

翡翠は5億年ほど前に南洋の陸塊のプレート境界、地下数十キロのところで誕生したといわれている。大陸移動に付随してユーラシア大陸の東端に位置するようになり、日本列島が分離したことで現在の糸魚川地方で産出するようになった。5億年という長さのうちには、プレート境界での付加体の生成、パンゲア超大陸の出現と分離、マントル物質の変成による蛇紋岩の誕生、日本列島の形成など、たくさんの物語がある。5億年前には陸上に棲息する動物はいなかった。地下深くでできた翡翠原石が蛇紋岩に包まれて浮上してくる途中で、圧力のひずみなどで砕かれることがある。破損したすきまを濃緑色や濃紺色の角閃石が埋めると圧砕翡翠が誕生する。

9大珠・人類最初の翡翠製品

日本列島に暮らす私たちは、世界で一番最初に翡翠を愛用した文化を継承している。いまから5千年ほど前、縄文時代の中期、私たちのご先祖は翡翠の霊性に目覚めた。翡翠に宿る神秘的パワーを「これはとても凄いものだ!」と思った。私たちと同じように彼らはヒスイ海岸で原石を採集してきた。それを分割・研磨・孔開けして、長さは5から15cmほど、平らで細長い楕円形の聖具を作った。縄文遺跡から発掘されたそれを私たちは「大珠(タイシュ)」とよんでいる。糸魚川地方産出の日本翡翠原石から作った大珠は北海道・東北、関東、九州の縄文文化圏に運ばれた。大珠制作は2500年間ほどつづいて、縄文時代の終焉とともに消滅した。縄文時代のご先祖にとって、私たちが大粒ダイアモンドを賛嘆するのと同じように、大珠はそれがそこにあるだけで、とほうもなく凄いものであったことだろう。

10勾玉その1

勾玉は原形が縄文時代に作られた。勾玉といえばすぐに思い浮かぶあの形、定型勾玉が登場するのは弥生時代からで、最初は翡翠で作られ、水晶・琥珀・瑪瑙(メノウ)・碧玉 (ジャスパー)製品がつづいた。勾玉の多くは管玉といっしょに結ばれて、ネックレスやブレスレットなどの装飾品になった。日本神話には弟神・スサノウの来訪を襲撃と勘違いしたアマテラスが、髪や胸元、手首をたくさんの勾玉で飾って対面する場面がある。勾玉はパワーの宿りで、マテラス所有の勾玉には女性司祭として彼女がまつる神々のパワーが凝集されていた。弥生時代の列島の記事がのる『三国志・魏誌倭人伝』には、卑弥呼の後継者・壱与が青大勾玉(緑色の大勾玉)2枚と真珠5千孔を朝貢したとの記事がある。

11勾玉その2

紀元3世紀に奈良県・三輪山の山麓に箸墓古墳とよばれることになる巨大高塚式墳墓が建造されて古墳時代がはじまる。古墳時代にはたくさんのC字型勾玉が作られた。翡翠勾玉の多くは交易品として朝鮮半島に運ばれた。勾玉は豪族たちの墓に副葬された。身分の高低なく愛用されていたようでもある。継体天皇の時代に宗教的な変革があったとされている。それにともなって勾玉の流行にかげりが生じ、やがて仏教が伝来し、服装革命があったこともあって、勾玉は忘れられていく。勾玉が再度注目されるようになったのは江戸時代のおわり、国学がさかんになってからで、翡翠勾玉の再制作は、日本翡翠の原産地が再発見され、1955年に産地の一区画が国の天然記念物の指定をうけて以降のことになる。

12勾玉その3

古代の日本で私たちを守ってくれたのは祖霊であり、木々や岩の霊だった。胎児に魂が宿ってヒト(ヒ・霊がとどまる)となるように、胎児の形に祖霊が宿って人を守護するよう願って勾玉は作られたと想像している。勾玉は霊が宿る形だ。胎児成長は生命進化の縮図となっていて、形状は魚に似ている。だから勾玉の各部分は魚に模してよばれる。頭があって背と腹があり尾がある。紐を通す孔(穴)を眼といい、頭から腹につながる口の部分を顎という。お守り・魔除けとしての勾玉は眼で敵をにらみ、顎で威嚇して、尾で敵を打つ。顎がしっかりしていて、尾は太くたくましいものが力強い。勾玉はごくわずかのカットの違いで千変万化の表情をみせる、ちょっとの違いなのに、と感心してしまう。

13異形勾玉

古墳から出土する副葬品や、古くからの神社、旧家に伝わる収蔵品によって、私たちは古代の勾玉の形状を知ることができる。そこには伝統的なC字やコの字型の勾玉にまじって異形勾玉とよばれる形状が異質ないくつかの勾玉がある。①獣型勾玉、②丁字頭(ちょうじかしら)勾玉、③サルダマ、などがよく知られている。④子持ち勾玉は祭祀の供物として滑石などで作られ、七夕の笹飾り同様に使用されたらしく、宝飾品として作られたものはないようだ。当社製品で人気の高い⑤タテガミ勾玉の出土数は少ない。

14獣型勾玉

獣型をした勾玉と同サイズの翡翠製品が古墳時代の遺跡から出土していて獣型勾玉とよばれている。大昔から犬は番犬・猟犬・愛犬として人類とともにすごしてきた。彼らが飼い主を助けてきたのと同じように、獣型勾玉は危機・災難を事前に察知し、よこしまなものから身を守り、幸運や財運に恵まれるためのお守りの役目をしたと想像できる。幸運を運んでくる精霊ブリンギング・アニマルの日本式バージョンが獣型勾玉というのは、とても楽しい話と思っている。

15日本翡翠飛龍

日本翡翠飛龍は当社のオリジナル製品。当社HPと一部特約店を除いて購入できない。古代中国での玉(ぎょく)文化は、およそ7千年ほど前に現在の内モンゴル自治区にあった紅山文化に始まったとされている。この文明から出土したのが世界最古の龍の彫像にヒントを得て飛龍は誕生した。飛龍のパワーは池の中心から外側に向かう波紋のように広がっていく。誰もがその人なりの可能性を宿している。飛龍は可能性を開き、夢を実現するための勇気と気力を与えてくれる。飛龍はレザーペンダントにすると丁度いい大きさで、約30mmサイズ。制作費が通常勾玉の3倍以上かかっていて、勾玉に比べて高額になってしまうが、価格を抑えて提供している。

16翡翠ブレスレット

日本神話には勾玉つきのネックレスやブレスレット、髪飾りが登場する。遺跡から出土する勾玉つきのネックレスやブレスレットは管玉ビーズで全体をつないだものが多い。管玉には竹や葦を模して辟邪(へきじゃ・魔除け)の力が宿る呪具と見る思いがこめられていたようだ。仏教の念珠に丸玉が用いられたことから丸玉ビーズのブレスレットは縁を結ぶ縁起物、願いをかなえるパワーグッズになった。日本翡翠は和のパワーストーン。他者との縁を結ぶことで、対人関係が豊かになり、願いごともかなっていく。

17翡翠石笛

翡翠石笛は当社製品と類似のものが縄文時代の遺跡から出土する。現代でも神道のいくつかの流派では儀式に石笛を用いている。そのようなことから翡翠石笛は縄文の音色とされている。石笛の音色はけがれを祓い、災いを追いやり、不浄なことどもを清める。それゆえに石笛は幸運を招くパワー・オブジェクトとされてきた。翡翠石笛は持っているだけでも「魔」を退け、よこしまなことどもを浄化するという。石笛は、穴のほとんどを下唇でふさいで、残った隙間に細く長く息を吹きこむことで高音で澄んだ音色をだせる。上達すれば雅楽のように吹奏できる。

18翡翠五輪塔

仏教では物質世界は「地水火風空」5つの元素(パワー要素)から成っていると考えていて、5元素それぞれの象徴図形を下から上に積みあげた形が五輪塔。宇宙の主宰者である大日如来の身体としてとうとばれている。寺院や墓地に五輪塔を飾るのは、霊も生きている人間もひとしく大日如来のもとへ、つまりは宇宙の根源へと戻っていけるよう願ってのことだ。五輪塔はパワーバランスが整った状態を表わす神聖図形であり、よこしまなものや不浄なもののつけいる隙をあたえない。仏壇に安置すればこのうえない先祖供養になる。居間や自室に飾れば、悪い因縁を浄化して良縁が開くよう働きかけてくれる。対人関係の悩みもおのずと解消できてゆく。ひとつひとつが手作り製品のため、サイズには微妙な差があり、色彩にも多少の差がある。

19翡翠丸玉

日本翡翠の丸玉は「玉磨かざれば光なし」の諺とおり艶がいい。しかもしっとり落ち着いてきめこまやかで、女神の肌のように美しい。丸玉は争いを丸く治めるよう力添えするといわれてきた。丸玉を眺めたり触れたりしていると、気持ちを丸く整えられる。丸玉は円満な暮らしを象徴するタリズマン。丸玉は「場」を整える。丸玉があるところ対人関係の軋轢も減って、仕事や近所付き合いのトラブルも少なくなり、丸く滑らかに暮らせていけると伝えられてきた。

20翡翠三日月ペンダント

三日月は知的能力を高めるタリズマン。古来世界各地のシャーマンは月からパワーを得て神秘的世界に参入してきた。三日月は人々の精神的成長を見守る形となり、三日月形のパワーオブジェクトを愛用すれば、失敗しにくくなる、たとえ失敗してもそれを糧としてより大きく成長できるとされてきた。太陽が生命力や生活力など物質的な影響を及ぼすのに対して、月は知性や思考力など精神的な影響を与える天体。三日月ペンダントを愛用することで知性は深まり、記憶力を強化でき、霊感を高められる。