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3.大珠(大珠はパワーを汲みだす井戸)
◆翡翠大珠(ひすいたいしゅ)は日本翡翠ファンには耳慣れた言葉であっても、世間的な認知度は低いままです。翡翠大珠はいまから5千年ほど前の縄文時代中期に始まって後期にかけてのおよそ2千年間の遺跡から出土する翡翠製品。きわだって優美なものは細長い楕円形、多くは5-15センチ前後、中央よりの位置に紐を通したと推測される孔があいていて、原始時代の産物とは思えないほどモダンな形をしています。現在のところ、これが何に使われたのか、社会的にどのような意義があったのか、まったくわかっていません。
◆魂振りと魂鎮め、つまりはパワーアップとヒーリングが世界各地のシャーマニズムにおける基本的な癒しの技法であることを想起するなら、縄文時代のシャーマンは大珠の孔に紐を通して、依頼人の頭上や患部の上で円を描くよう呪文とともに振って、身体から遊離してしまいやすい魂を落ち着かせたり、魂を活性化させたと考えられます。また祭りでは大珠はパワーを汲みだす井戸となり、神々のパワーを人々に分け与えたことでしょう。おそらくは翡翠大珠は、縄文時代のご先祖にとっては、何に使うというよりも、それが、いま、ここにあることが、一番凄かっただろうと思います。
◆現代人である私たちのためにも大珠はヒーリング・ツールとしてすばらしい形をしています。たとえば、困った時や心細いときに大珠の表面を親指の腹で下から上へとこするように何度も撫でる。比較的短時間で不安・心配を和らげ、正常な判断力を回復できます。指先の末梢神経には中枢神経に直接働きかける作用があり、親指の腹を刺激することで交感神経と副交感神経のバランスが整うからだといわれています。翡翠は遠赤外線を輻射する鉱物なのでヒーリング効果が高いのです。
◆オーラ・トリートメント、つまりはオーラの修復にも翡翠大珠は効力を発揮します。オーラは生体エネルギーの体外放射のようなもので、他者や環境の影響を受けやすく、オーラがよごれると活力が低下するという特徴があります。人口過密な社会で多くの人々とまじわって暮らさなければならないとか、過剰の情報と社会不安がストレスとなってのしかかる、といった状況下では、オーラは弱っていく一方です。疲れた肌や髪をいたわってやるようにオーラも保護して手入れしてやる、これがオーラ・トリートメントで、外出先から帰ったらコートについたほこりを払う要領で、大珠で腕や胸などを軽く撫でるようにすると、オーラは浄化され、それにともなって身体が軽くなり、すっきりとした気分を回復できます。
◆その他、大きめの大珠は紐をつけて机の近くに吊すと「気」の環境を整えるのに効果的であるとか、小形大珠のレザーペンダントは、他者からのネガティブな波動や、土地の悪い因縁を防ぐのにすぐれた効果を期待できます。肌を若返らせるというカッサプレートとしても活用できます。
5千年前の日本列島に栄えた翡翠の交易路
◆縄文時代は野蛮な時代だった、日本列島の文明化は水田稲作の移入とともに始まった、と多くの人が信じています。けれどここに翡翠大珠(ひすいたいしゅ)を置くと、縄文時代はとたんに知的に見え始めます。新潟・富山県の県境、日本翡翠の産地を中心に、北部九州から北海道までを網羅するジェード・ロード(翡翠の交易路)があったと聞いて、文明の痕跡を追うなら、縄文時代の知的成熟度はほぼ同時代の古代文明、エジプトやメソポタミアに匹敵したことがわかってきます。5千年ほど前の私たちのご先祖はなかなかたいしたものでした。
◆古墳時代に勾玉が流行するのよりも3千年以上も昔、鉄器のなかった時代に、翡翠のように硬い石を細長い楕円形に磨いて、ダイアモンドドリルで開けたようなスッパリとした孔をあけた製品が流通していたというのは、真に驚くべきことのひとつです。と同時に、翡翠大珠は人類が宝石を愛好するようになった最古の事例のひとつであり、同じように最古に属する土器の使用と考えあわせるなら、縄文時代は地球規模で見て希有な超古代文明だったといえます。
◆大珠や勾玉が昔の人々にとって何であったかを、世間的な常識よりも深いレベルで理解するためには、古代の呪術への理解が不可欠と思います。なぜなら古代においては何もかもが呪術であり、起きてから眠るまで、生産活動や政治、個人の暮らし向きなど、すべてのことに呪術が先行したからです。そこで、縄文時代の翡翠大珠についてさらに探求する前に、呪術の基本的な考え方を述べて、大珠がどのような呪具・聖具だったかを検討することにします。古代史関連の本にでてくる威信財が何を意味したかも明白になります。
◆縄文時代における日本翡翠の古代史については、後ほどさらに詳しくを第5章・翡翠の古代史で展開します。
呪術への理解がないと古代は見えてこない
◆呪術はいかがわしい。呪術は迷信であり社会に害をまき散らす、と近代合理主義以降信じられてきました。私たちの文化は呪術をおとしめて鬼子にすることで正当性を確保してきたようなところがあります。
◆けれどここでいう呪術はシャーマニズムの訳語であり、他に適当な言葉もみつからないので呪術とよんでいますが、超自然的な存在への信仰が組織化される以前の前宗教的な世界観と、それにもとづく知識・思考・思想・哲学・修行の体系などをひっくるめて呪術ということにします。近代科学的な思考方法と異なっていても、呪術にはそれ固有の世界観の整合性があり、現代では先端物理学との類似が話題になっています。
◆現世人類の知性化という問題はとても興味深いテーマです。ここでは深いりしませんが、言葉を話せるよう脳と喉の構造が確立され、自由に言葉を操れるようになって始めて、人類は抽象的な思考を深められるようになり、思考や知識を他者と共有できるようになりました。ここにおいて人類は知性化されたと想定するなら、この知性化によって人類は神々を発明した、あるいは発見したということになります。
◆現世人類の誕生は12-15万年ほど前。知性化が実現するのが5-3万年ほど前のことで、覚醒があまりに目覚ましいものであったために、現世人類はいまだにこのときの思い入れから解放されていません。
◆原初の人々が感じたのは、第一に、私たちが暮らしている世界だけが存在しているわけではないということでした。この現実的な物質世界は母胎ともいえるもっと大きな世界から開きだされてくる。向こう側を実際に体験するのは難しいことではあるが、その体験は日常性に比べるなら恐ろしいほどにリアルであるということでした。ここから現実は向こう側とあわせ鏡のようになっているとか、向こう側の鏡に映った虚像が現実であるというような認識が生まれ、現実に対する霊的世界というような観念が発達していきました。
◆向こう側は純粋なパワーの世界、非物質的ないし半物質的世界であり、霊的存在である神々が住んでいて、神々にはそれぞれ役職があって向こう側を維持しているというのが、こんにちの宗教やシャーマニズムの基本的考え方になっていいます。一神教では一柱の創造主に対して、配下・直属であるたくさんの天使がいるというような構造になっています。
◆向こう側からこちら側が開きだされてくるなら、つまり半物質的な要素が物質的世界に実体化してくるのなら、その過程に介入して、世界の展開の結果を変更できるとするのが呪術の基本的考え方です。通常はそれぞれの役職をになう神々に結果の変更を願うということになります。たえば、落第するはずの息子の受験を神々に祈って合格するように変えてもらうとか、仕事の妨げになっている障害を取り除いてもらうといった按配です。
◆このためには呪力のある言葉、つまり言霊(ことだま)や、象徴を駆使して向こう側へと影響を及ぼすさまざまな技法、シャーマンの心を浄化して神々と取引できるよう霊性をたかめる修行法などが、開発され発達してきました。この過程で、こちら側の世界にも向こう側のパワー要素を強く内包している物質があることにシャーマンたちは気付きました。それらはパワーオブジェクト(物実・ものざね)として重宝され、パワーオブジェクトのパワーを活用することで、向こう側に干渉したり、自分をパワーアップしたり、向こう側へと旅行できるようになったのです。
◆こうした思考方法を受けいれて、自分が縄文時代のシャーマンになったつもりで翡翠大珠に向き合うなら、大珠は神秘の力をあらわにして向こう側へと私たちを開いてくれます。それは霊的進化といえなくないのですが、ぼく的には自我の拘束をゆるめて全体的な自己が気楽になる、同時に向こう側とこちら側をひっくるめて大きな気付きを得ることのように思えます。
4.宝珠その他(独鈷・お地蔵さん)
◆翡翠石笛があると、とても容易に、古代のシャーマンたちと気持ちがつながります。遠く離れていても、見えない糸で結ばれている友人らのように、会ったことも見たこともない古代のシャーマンたちと結ばれる気持ちになります。よくよくみれば、彼らは自分の心のなかに居るのがわかります。彼らが元気付くとき、まったく同時に心も元気になります。翡翠石笛は心を活性化させるビタミン剤のようで、効き目の素早さと、身体や心に効いてくる感触やら過程がとても不思議です。
◆翡翠石笛はほぼ鶏卵の大きさ。直径10ミリ、深さ30ミリの孔がひとつ開けられています。この孔を下唇で3分の2ほどふさぎ、残りの隙間に細く長く息を吹きいれると、ピーッと鋭い音がします。尺八を吹くように練習すると音階を表現できるようになるそうです。鶏卵大の石笛は滑らかに磨かれていて、手のひらにすっぽりと納まります。その感触を楽しんでいると天の神さまからの贈り物のように思えてきます。
◆石笛の音を始めて聞いたのは30年ほど前のことで、当時京都に神懸かりして石笛を奏でる老人がお住まいでした。雑誌の取材でお訪ねしたのですが、口許にあてた石笛から流れでてくる音は、石にうがたれた小さな孔ひとつから出る音色とは思えず、美しくもおごそかな旋律があって、まるで天人が奏でる雅楽のようでした。
◆三島由紀夫は『英霊の声』という小説のなかで以下のように書いているのですが、その霊能力に秀でた老人の奏でる石笛は、まさにそのようでした。
「石笛の音(ね)はきいたことのない人にはわかるまいと思うが、心魂をゆるがすような神々しい響きを持っている。清澄そのものかと思うと、その底に玉のような温かい不透明な澱みがある。肺腑を貫ぬくやうであって、同時に、春風駘蕩たる風情に充ちている。古代の湖の底をのぞいて、そこに魚族(いろくず)や藻草(もぐさ)のすがたを透かし見るやうな心地がする。又あるひは、千丈の井戸の奥底にきらめく清水に向かって、声を発して戻つてきた谺(こだま)をきくやうな心地がする。この笛の吹奏がはじまると、私はいつも、眠っていた自分の魂が呼びさまされるやうに感じるのである。」
◆翡翠石笛には日本翡翠原石から製作したものと、ビルマ(ミャンマー)翡翠製品とがあります。価格を比べると後者のほうが1000円ほど安くなっています。両者に際立った差異はありません。総体的に見るなら日本翡翠石笛は明るい灰色をしたものが多く、ビルマ翡翠石笛は幾らか緑味があったり、黒と灰色の縞模様になっていたりします。
◆翡翠石笛は縄文時代の遺跡から同じ形のものが出土します。現代でも古神道の幾つかの流派では、石笛を吹奏することで神々を招き、巫女に降りた神霊から託宣を得ているそうです。そのようなことから、石笛は縄文時代にも神託を得るために用いられていたと考えられていて、「縄文の音色」といわれています。私たちの心の原風景には、石笛が発する超音波に乗って降りてくる神々の姿が刻まれているようです。
◆神々や祖霊を招く祭儀では「場」や「人」を清めることが大切で、石笛の音色は穢れを祓い、災いを追いやり、清らかですがすがしいパワーを招く力にすぐれているとされてきました。こうしたいわれがあって、翡翠石笛は持っているだけで「魔」を退け、邪(よこしま)なものを遠ざけ、自分自身や身辺のもろもろを浄化して幸運に会いやすくするパワー・オブジェクトとなっています。
◆石笛は科学的な計測で超音波を発することが知られています。古代の神秘的な解釈では人間の耳には聞こえない超音波が、神々を招く信号、もしくは「梯子(はしご)」になるとされていました。意識が日常性を離れると、神々は霊的な実体として存在していることが実感として感じらる意識の層へと移行します。「翡翠石笛は神々を招くよう作用する」というのは、巫女や霊媒の意識が石笛の超音波によって変性して、神々を受けられる状態へと変移することを意味しているようです。
(変性意識は生きがいの創造と発見とか、心の充足、霊的進化、神秘的世界への参入など、これからの話題にとても重要な役割をはたす概念です。)
◆翡翠石笛に触れていると滑らかな石肌がしっくりとてのひらに馴染み、ポカポカと温かくなってきます。翡翠の遠赤外線輻射作用によるもので、翡翠は毛細血管の血流をよくして新陳代謝を高める薬石効果の高い天然石。健康にいいばかりでなく肌を若々しく保つのにもよいとされています。ここでは、心のなかの古代のシャーマンが目覚めて「元気の素(もと)」をくれる感触を実感できます。